海が見える部屋

短編小説
Jeff TuckerによるPixabayからの画像

海が見える風景は、小さい頃の僕にとって当たり前のものだった。
僕が住んでいたところは当時新しく開発された新興の住宅地で、その第一人の入居者のうちのひとつが我が家であった。

当時まだ4歳かそれくらいで、記憶はおぼろげながらもまだすべての土地に家が建っていなかったのは、何となく思い出せる。そこに木造平家のシンプルな家ができた。庭もある。

住宅地全体が山を切り開いて作った台地になっていて、新しい家はすべて高台の家ということになる。うちはその中でも海側の方に位置していて、約8キロ先の海が見えた。当時は隣の土地が空いていたし、海までの間に高い建物がなかったし、今では伸び放題の竹林が視界を遮ることもなかった。だからぼんやりと遠くの海を見ることができた。

やがて空いていた敷地も次々と埋まり、海は見えなくなった。
僕が小学生のころに家が増築され、二階ができた。
二階の部屋からまた海が見えるようになった。海までの間には川が流れていて、夏には花火大会を遠目に自宅から見ることもできた。高校生になると二階の部屋が僕に割り当てられることになった。
膝を怪我して部活を辞めたり、受験を控えて親と喧嘩が増えたりしてロクなことがなかったが、窓からの風景はいつでも僕のものだった。
窓に向けてデスクを置いた。勉強する気が起きなくていつも外を眺めていた。スマホなんかなかったから、ラジカセからラジオ番組を流していた。あまりいろいろと考えたくなくて英語のチャンネルに周波数を合わせていた。それで洋楽を聴くようになった。

二階部分はもともと父が自分の書斎のために造ったため、一部屋しかなかった。父はあまり部屋に上がらず、結果として雨戸の戸袋に虫が大量に住み着いてしまったので、あれこれ文句をつけて僕がもらうことにしたのだ。
だから、二階は僕だけの世界になっていた。部屋の壁の一面は父の趣味ですべて本棚になっていた。しかし僕は父が揃えた書物にはまるで関心が持てず、それらの書物の前に「キャプテン翼」を全巻揃えて並べていた。

そんな趣味的な部屋で夜の海を眺めるのが日課だった。
父が学業の結果にうるさく、早く寝るとそれだけで怒られるので10時くらいまで何となく時間を過ごして、10時が過ぎたら寝るようにしていた。そのような体たらくではあったが、父の思想の影響で「なんで世界は平和にならないんだろう」というようなことを日々考えていた。

今にして思えば、海までの距離は自転車で20分も走ればすぐにたどり着ける場所だった。歩いて行くことだってできる。もっと頻繁に足を運んでもよかった。なぜそうしなかったのかと振り返っても、そんな発想は当時全く思いつかなかった。いつでも見ていたからこそだったのかも知れない。家に縛られていたせいかも知れない。世界は狭かった。いろいろ悩むにしても砂浜で悩んでもよかった。あるいはすぐ近くの川まで行って河川敷の風景を楽しんでもよかった。思いつかなかった。家とその周辺だけが僕を取り巻く世界だった。

あのときの窓からの風景がいつか帰るべき場所のような気がしている。
海が見える場所に行きたいという思いが日に日に強くなっている。
大学生の時、僕は東京に出てきたが、自由を満喫し過ぎてほとんど実家に帰らなかった。そのせいかも知れないが、3年の夏休みだったか、帰省すると家が建て替わっていた。二世帯住宅になっていた。僕には何も知らされていなかった。僕の集めた漫画は勝手に古本屋に売られていた。
いろんな意味で言葉がなかった。

祖父母と一緒に住むのはぜんぜん良かった。僕はおじいちゃんっ子だったので近くにいてくれるのは大歓迎だった。庭の方は祖父母の趣味で庭園化していた。
家族にとっては良いことなので建て替えそのものに異論はない。
しかし心の準備ということが全くできていなかったので反応に困った。
「良い家でしょ?」と母に聞かれ
「そうだね」ということしかできなかった。
そして僕の部屋にあった僕の私物はすべて屋根裏の物置部屋に押し込められていた。

(あの部屋は、もうなくなったんだ)

ぼくは自分の気持ちの置き所をみつけられないまま、東京に戻った。
東京の部屋が僕の戻るべき場所になっていた。

もう地元よりもこっちにいる時間の方が長くなってしまった。
海が見える場所に住みたいと思いながらも実家には戻る気がしない。
自分の場所を、自分で探していかなければならない。

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