リツイートキュレーター

雑記
ijmakiによるPixabayからの画像

Twitterを毎日眺めていると、フォローしている人の中に好みのイラストを何度もリツイートしてる人がいる。これを仮にAさんとしましょう。
Aさんがリツイートする対象は特定の誰かではなく、あくまで「好みの絵」が基準のようです。

また別のBさんはどこからか自作の漫画を載せているアカウントからスレッドの1話目をリツイートしていて、何度かそれを目にした結果、僕のアカウント内には「マンガ」というリストが作成されました。
以来、タイムラインの中で面白い漫画を見つけたらそのアカウントを「マンガ」リストに追加するようになりました。僕の「マンガ」リストにはプロも素人も関係なく登録されていて、どの作品も面白く楽しめます。

AさんやBさんはもしかしたら意図的にそういう活動をしているのかも知れない。あるいはただ単に自分の好きなものに反応しているだけなのかも知れない。どちらにしろ、好きなものを他の誰かに広めたくてリツイートしているのだろうとおもいます。

それが何らかの活動である場合は置いておいて、ただ好きなものを拡散したい、という思いを簡単に実現できるのがSNSの一つの機能ですよね。
無自覚なキュレーション活動というか。

一昔前はキュレーターと聞くと芸術関係に詳しくて作品の批評が細かい人、という印象を持っていたものですけれど、その印象が変化し始めたのは佐々木俊尚さんの「キュレーションの時代」が出たあたりからだったでしょうか。特定の分野の言葉でしかなかった「キュレーション」という単語が一般化されてしまいました。

思えば素人キュレーターは昔からいました。
自分が集めたものを公開しないだけで、好みの絵やコレクションを大量に保持しつつ造詣を深めていく。そんな人たち。ただのコレクターで終わらずひっそりと深い知識をも持ち合わせた人たち。

絵画の世界にはギャラリーとか画廊とかあって(同じ)、完成品を公に見せびらかすシステムが出来上がっていました。まあ、これは歴史を辿れば自然の成り行きとして理解できます。
敷居が高く単価も高い。
アートの世界はいわゆる上流階級のたしなみのようなもの。
芸術への理解はひとつのステータスだった。

今となってはそういった絵画もコンテンツの一つと言い切ってしまえる。
人が何を好み、評価するか。その対象は広がった。
ガンプラがいい例です。
完成品には一体で数万円の値段がつくことも当たり前になってきました。
そして作る側も買う側もガンダムに詳しくて、その世界観に浸っているわけです。
まあガンダムはもうメジャーなんですけど、小さな趣味の世界でもそれぞれにクラスターが形成される時代になったと。
それは刺繍の世界だったり、お面の世界だったり、メイクアップの世界だったり、ソシャゲの世界だったりするわけです。
TwitterでもYouTubeでもインスタグラムでも、あらゆる趣味にたくさんの人が興味を示して世界を広げている。そのなかで、「この人すごい!」「このひとも!」と紹介することで無名の作家が突然バズったりして、その現象を生み出すことに快感を覚える人もいるのでしょう。意識せずににやってるひともいるかもしれない。無自覚なキュレーター。

最初にあげたAさんやBさんのようなリツイートキュレーターはあらゆるジャンルに存在します。
すでに日常的に触れている文化になっているので改めて考えてみることもないことかもですが、かつて特別だったものがそうではなくなっていくのが、インターネットが浸透した世界の恩恵なのだと、感じたのです。

今にして思えば佐々木さんの著書は展開早かったですね。

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