宮崎事情がわからない

雑記

東京におけるコロナ感染者数がほんのちょっと小康状態になったとき、
僕は生活が苦しくなったりとたこともあって、東京からの撤退を決めた。
思うところは多々あったが、いいきっかけだとも思えた。
競争と狂騒と強壮に満ちた社会からの離脱。
しかしながら処分するものもたくさんあるので時間を使ってしまっているうちに、引っ越しの時期と緊急事態宣言が重なってしまった。
羽田空港で受けた検査はいずれも陰性。
陰性証明ももらい、これでひと安心。

宮崎に戻った後は2週間、自宅からほとんど外に出なかった。
唯一の外出として朝の4時から7時までの間のサイクリングを自分に許した。
おそらくこの時間なら誰にも会わずに外を動けるからだ。
東京の状況と比べたら宮崎は1日に20人感染したと言って大騒ぎしている。
桁が違う。
その落差に、やはり田舎は平和だなと思ったりもした。

そして2週間が過ぎたいま、僕は元気にいろんな店を渡り歩いている。
それまでの早朝サイクリングで宮崎市内から高岡町あたりまでは意外とすんなり行けることも確認でき、大淀川沿いの堤防がいい感じに走り抜けられることもわかった。
写真もいっぱい撮って、東京では見ることのできなかった景色に見惚れた。
これは絵に描くしかないとおもって、東京から届いた荷物をばらし、はやく描く環境を作っていこうと準備を進める日々。

東京での最近の10年間、僕はテレビを捨てていた。
情報の収集源はほぼ完全にインターネット経由になっていた。
ビデオをレンタルで借りることをしなくなり、Netflixやアマプラなどのサブスクリプション、あるいはYouTubeがあれば十分だった。
隙間時間にはオンラインのゲームを楽しみ、「スプラトゥーン2」や「apex legends」で夜更かししたりもした。
一人暮らしの自由を満喫していたのだ。

絵を描き、ゲームをし、動画を楽しむ。
それなりに充実したプライベートだった。
少なくとも僕にとっては十分だった。
特に寂しさも感じることなく毎日を過ごしていた。

この安定したひとり時間が、すべて崩れた。
環境が変わるわけだからある程度想定はしていたが、
その想定は甘かったのだということを、
2週間の自宅待機後に気付かされることになった。

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