立ち位置を確かめる話

雑記
mohamed HassanによるPixabayからの画像

お風呂に入っている時って、何かしら気が緩んで
普段考えないことが浮かんできたりする。

ひさびさに外で体を動かす仕事をしてきた僕は、
「ああ、今日はまったくTwitterを見なかったな」
と気づいた。
相変わらず仕事は見つからないのだけれど、知人の紹介で
公園の草取りのバイトをしてきた影響でクタクタの体を
湯船に浸かって休めていたのだ。

無心に雑草を地面からむしり続けて手も腰も足も痛くなったが
精神的にはとても落ち着いた状態を獲得できた。
もちろん、作業中に携帯なんか見てる暇はなかったのだが
とにかく目の前の現実に集中できたのはよかった。

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Twitterは雑念の塊みたいなところがある

特に仕事もなく自宅に篭っていると、こうやってパソコンの画面と
向き合う時間が長くなるのだが、ふとした瞬間に新規タブを開いて
Twitterを覗く癖はなかなか治らないものである。
そしてちょいちょいと目を走らせるだけのつもりがズルズルと
時間の消費につながることを私は知っている。知っているのだが……

誰もがそれぞれに言いたいことを言っていて、それが面白かったり
時には腹立たしかったりもしてしまうのだけれど、
そしてそれぞれの呟きには筋の通っているものもあれば適当な
感じで適当なことを言ってるだけだったりして、統一感はない。
統一感のなさこそがTwitterの魅力でもあるけれど、
しっかりと準備して書いてる人はほとんどいないのではないだろうか。
(そうじゃない人がいることはもちろん知ってる)
結局、適当に考えたことも適当に口にできる場所なのだ。

Twitterはなんかあるとすぐに荒れる

今だととくにコロナウィルスに関連する政府の対応についての
批判で、方々で罵詈雑言が飛び交っている。僕自身もしばらくは
なかなか落ち着けなかった。
タイムラインを荒らしていたら、フォロワーさんごめんなさい。

そしてようやく若干の収入を得た僕は風呂に入って体をほぐしながら
ぼけっと考えていたのだが、
「ときどき自分の立っている場所を振り返りたいものだな」
と、突如思い立ったのである。

なぜ人は対立するのか。
言葉を荒げて相手を罵り合うのか。

という問いに対する客観的な視点が前触れもなく立ち上がっていた。

みんな自分の足元を見ている

人にはそれぞれの立ち位置がある。

社会的な立ち位置
・例えば僕はいま無職である。失業者である。
 求人はほぼ若い人優先で採用されているだろうと考え、
 時に落ち込んだりする。

会社での立ち位置
・現状では私には当て嵌まるものがないが、
 役職ついていたり、中間管理職だったり、平社員だったりで
 自分のポジションが変われば立ち回りも変わってくるだろう。

家庭での立ち回り
・お父さんやお母さん、長男次男、長女次女、
 介護で忙しい人がいれば一家を支えている人もいれば
 実家ぐらしの人もいるだろう。

と、あげればキリがないところだが
みんなそれぞれに抱えていることや背負っているもの、
課せられた責任なんかもある。
そしてひとはいつの間にか
自分が立っている場所を中心に物事を見て考え、判断するようになる。

それは当たり前のことではあるのだけれど、当たり前になる前に
努力したり、妥協したりして、次第に慣れていく。
慣れていくと考えずに出来るようになる。
自分の立ち位置に収まっていく。
「立場が人を作る」というやつである。

固めた足元に潜む落とし穴

さて自らの立場に染まるとどうなるか、
その立場で果たす役割としては十分に機能するだろう。
目的の分散を避け、リソースを集中し作業の効率化がすすんでいく。
そのように鍛えて、磨き上げられるべきこと。

逆説的に、この状態は同時に視野の狭さにも繋がってしまう。
これが落とし穴で、気づかずにいる人も案外多いと思うのだ。
仕事で成果を出していればその成果そのものが視野を狭くしていく。
成功体験や経験値が自分の価値観の正しさを補強していき、
その状態が進むと絶対化するところまでいってしまう。

こうなると思考停止で、視野が狭くなっていく。
成功体験に基づいているので正しさは折り紙付きだ。
自己への批判など思いつきもしない……自覚のないままに状態は進行する。

結果として、無自覚で狭量な世界観を用い、他人を罵倒する。
自分の正しさから、考えの異なる他者を間違った存在として扱う。
「正義」はこうやって生まれていく。
微妙に角度の違う無数の「正義」が世の中には溢れている。

専門性と公共空間

別に好きなことを言っていいとは思うのだけれども、
ときどき人は感情的になってしまうので、
自分の正義がどんなことに根付いているものなのかは
なるべく考えておいた方がいいだろう。
その根ざしているものはその人の専門的な知識だったり経験だったりで
貴重なものには違いないのだが、SNS に対して文字を打ち始めたときには
広場の片隅で独りごとを言い始めたも同然で。ただ3次元空間と違うのは
言葉の強さは声の大きさとなり周りに響いてしまうこと。
単語一つの伝わり方で「うるさい!」と反応する人もいる場所なんですわ。

己の立ち位置を客観的に見てさまざまな価値観で判断できるようにしたい。
できたらいいなあ。。。。
と自戒をこめて。
湯船に浸かって気の抜けた考え事を文字にしてみたら
こんな感じになりました。

こんなテーマで良さそうな本ないかなと思って探したのが下の本。
言葉もそうだけど、イメージを持って考えたいですね。


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