人を動かすのは感情で、感情を動かせば人も動く

所見
Gerd AltmannによるPixabayからの画像

長時間家にいると座っている時間が長くなる。
仕事したり、ネット見たり、テレビみたり、動画みたり、ゲームしたりzoomやスカイプでやりとりしたり、そんな時間が長くなる。

自分も例外なくそんな感じで、座りすぎて股関節がおかしくなってきたりしている。うちにはテレビを置いていないので、Apple TV を大きめのディスプレイで映してみている。
そういった時間、全てオンライン。

基本、家事や読書の時間以外はほぼネット媒体に触れている。
外に出る時にもスマホを持っていくので、やはりオンライン。
ながら歩きするわけではないけど、ちょいちょい画面をのぞいてしまう。

動画見てるうちはまだいいけどスマホを手が届く位置に置いているとちょいちょい手を伸ばしてしまい、Twitterをのぞいてしまう。テレビがないので情報の仕入れ先がニュースサイトかTwitterになってしまっている。
似たような人、多いんじゃないだろうか。

Twitterは世相が穏やかな時はいいが、ひとたび荒れると玉石混交のカオスになる。
真実の嘘も同じレベルでタイムラインを流れていくから、いちいち真偽を確かめなくてはならなくなる。
その作業はリテラシーを高める上では成長を促すが、油断してると簡単に足元を救われてしまう。ぼけっとしてると騙されるのだ。

騙された相手が虚構新聞ならまだギャグで済む。
難しいのは虚構のような現実が起きている点である。
この科学が発展した社会で、まさかウィルスで文明が脅かされるなんて、ゲームの中だけの出来事のはずだったし、この事件への反応、対応でパニックになったり窮地に立たされたりしてる人がわんさかいるのである。

人はなぜ騙されるのであろうか。

精神の根源的な性質について語るのは哲学者に任せるとして、過去の経験も踏まえて考えると何かしらのトリガーがあって感情を動かされた時に、人はあっさり騙されるのだ。そんでもってこのことに悪意の存在は関係ない。

相手に騙す意思がなくても人は勝手に騙されていく。

日常のなんでもない時間を過ごしている時に、
「ねえ、こんな話、知ってる?」
ととんでもない話を聞かされる。
中身がゴシップだろうと大事件だろうと、近所の噂だろうと同じだ。
それを聞いて、聞かされた結果として
「ええええええ」
と反応してしまえばもう、そのあとはその話の続きに自ら熱心に耳を傾けていく。

いちど心の安定を揺るがされてしまうと、普段は機能しているはずの常識的な判断能力があっさり失われてしまう。それはもう、簡単にそうなってしまう。話題が自分にとって身近なものならば余計にその傾向は強くなる。

デマに惑わされるな、という話ではない。
人間は簡単に我を忘れるのだ、という話だ。

デマも流れるが、デマみたいな事実も一緒に流れているので、休む暇がない。

こういうことが今そこかしこで起こっている。
というより、このカオスが日常の姿になってしまっている。
騙されたことに気づいた時にはもう別のことにまた騙されている。
何が本当のことなのか見極めたい。
しかし情報は津波のように溢れ続け、正常を奪っていく。

ここのところたくさん本を読むようになったのだが、多くの本にマインドフルネスのことが書いてある。瞑想でもしないと脳に休息を与えられないということが科学的に証明されてきている。

この無名で過疎っぷりも激しいブログの読者に、ついつい通りがかってしまった人に
あえて勧めてみたいのだが、今すぐスマホのスケジュールに毎日決まった時間に瞑想の通知を入れるようにしてみたらどうだろうか。
その時間になったら全ての行動をストップして、情報を遮断して、瞑想に入る。
何もしない時間を知らせるためにスマホの通知を使うのだ。

そうでもしなければ我々は常に正常を失い続けて、脳を休ませてあげることができない。どんだけ心を整えても、脳はガムシャラに働き続けてしまうので、僕らが自分で休ませてあげるしかない。
運動不足をストレッチやジョギングで解消するように、脳にもメンテナンスが必要だ。

やれやれ、またマインドフルネスの話になってしまった。
情報の真偽を確かめるのも大切ですが、あなたの感情のトリガーになるものがどんな傾向にあるのかなど、リテラシーの判断基準にも色々ありそうだな、とおもい、こんな文章を書きました。

それでは

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