まるっきりそのままで説明のしようもないというか
説明するまでもないというか、つまりそういうことなのだ。
僕は今東京を離れて徳島の鳴門にいる。
いや、本当は淡路島に滞在するつもりでその辺りの宿を探していたら一泊五千円を切る価格かつなんか部屋も綺麗っぽい雰囲気のものが出てきてそれが鳴門の宿だったのだ。地図を見ると淡路島は目と鼻の先ほどで、
「何だこれなら問題ない」
とばかりに宿を押さえてしまった。
そしてフンフンフーンと鼻歌まじりに出立の日を楽しみにしてレンタサイクルの場所など探していたのだが、予約の日まであと数日というところでまさかの事実が判明する。
鳴門大橋、徒歩では渡れない。
は?
なんで?
思考が一瞬停止する。
鳴門大橋は高速道路で自転車でも渡ることができないという。
距離的には歩いて5分くらいのものなのに、対岸まで行くためにはバスを乗り継いで1時間くらいかかるという。
そんなバカな話があるものかといろいろ調べたが、事実は変わらないのであった。鳴門大橋作った人、アホなんちゃう?
正直、そう思った。
そしてなんとか淡路島に渡る手段をあれこれ考えつつ、夜行バスで既にたどり着いているという訳なのである。
事前の調査が甘いと言われればもう反論の余地もない。
グダグダしてももったいないのでとりあえず宿から一番近い観光情報センターを目指したのだが、これも「あるいていけるやろう」と進み始めたはいいもののたどり着くまで1時間以上かかってしまった。
距離を見誤ったのは言い訳のしようがない。
しかし、高速道路でもない橋がこれもまた徒歩通行できなかったのである。
偶然近くにあったバス停の時刻表を見ると何と現在時刻ちょうどにバスが来ることになっていて、実際しばらく待っていたらバスが来た。それに乗って晴れて橋を渡り目的の場所についたのである。
歩いてくるなということなのか?
この近辺の橋事情に陰謀の影すら感じつつ何とか淡路島行きのルートは明確になってきた。時間はかかっても行くしかないのである。
俺は玉ねぎ畑が見たいのだ!
日常的に行き来しているバスくらいあるはずだという予測があたり、時刻表も抑えられたので明日は朝から淡路島をめざす。
行き当たりばったり感しかない旅だが、僕が動くと常にこんな感じになる。
だが、こんな状態の時が一番楽しい。
混乱し、対処する。
自分の本質がここにあると思える。
偶然の発見こそが旅の醍醐味だと思っている。
しかし絵を描き始めて以来、そんな部分が少々変わりつつもある。
限られた資源や時間の中で風景を探し出したいという願望がある。
その発見自体は偶然だけれども、その偶然の回数は多ければ多いほどいい訳で、そうであれば描きたいと思えるところをたくさん写真に収めることができるわけで、
要するに僕はたくさん絵を描きたいのだ。
この願望をみたす風景をたくさん得るためには時間の無駄をなくさなければならない。より早い時間にレンタサイクルを借りてより多くの時間を走り回る時間に当てなければならない。
絵を描くことを目的にすることで他のこともそれにつられるようになってきた。
ただしこれ、定職がない状況だからこその動きでもある。
しかしこれは戻ってから考える。
3泊するので最大限のものを得たい。
という訳でお休みなさい。
犬吠埼に続いて鳴門の朝を見たいのです。
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