雨が続いている。
これだけ振り続けたのはいつ以来だろうか。梅雨明けの報はまだ届かない。届く気配がない。こんな時に図書館のことを考えると、どうしても思い浮かぶことがある。
本が泣いています
ある年の6月に僕は当時在籍していた館で資料の展示を担当した。
展示はどこの館でも一定のサイクルで行う図書館行事のひとつで、季節や時事のテーマを決めて関連の本を揃え、利用者の読書体験の広がりをはかるために実施している。その時ぼくが設置した展示のタイトルは
「本が泣いています」
だった。いわゆる汚破損本の展示だ。
汚破損本とは、水に濡れたりシミがついたりして元の状態に復帰できず、かつ利用者に提供するには不適格とされた資料のことになる。「本が泣いています」というタイトルは特別なものでもなんでもなくて、雨の季節が近づくと同名の展示をいろんな図書館でやっていたりする。それを真似したものに過ぎない。しかし利用者にはそれなりのインパクトを与えたりするので効果はある。
本がどっぷりと水に濡れた状態を目にしたことがあるだろうか。濡れた本がそのままの状態で乾いてしまうと一つ一つのページにシワがより、膨れてしまってゴワゴワの状態になる。それが全ページにわたって起きるので、レシートを詰め込み過ぎた財布のようにパンパンに膨れ上がってしまう。こうなったものはもうどんなことをしても元には戻らない。濡れた部分がほんの一部で、また乾いていなければ修復の可能性は残る。そういう時はすべてのページの間に無地の紙(色移りしないもの)を一枚ずつ挟み込んで万力でプレスする。ものすごい手間である。
お願いだからビニールに入れて
雨の日にはこれを警戒しなければならない。ひどい時は短い時間のうちにこの作業が2度、3度と続くこともある。スタッフはこの展開に慣れているから、ワーワー言いながらも対応を始める。ちょっと楽しそうにやってたりもする。だがそれも修復の可能性が残っているからで、一見しただけで「もう無理」と思えたり、他の利用者に提供するのが困難な状態と判断できるものは利用者に弁償を求めることになる。ここでよくやりとりが発生する。
「自分で修復を試してみたい」
「元からこの状態だった」
「この程度の汚れで納得いかない」
こういった反応を頻繁に受ける。
他の回でも記しているが、何度でも言いたい。図書館員は一人当たり数百、数千冊の本を1日に処理している。水濡れの状態は手に取った瞬間に違和感を受ける。修復できる状態かどうか、手の感覚だけでわかることが多いのだ。ましてや膨れ上がっている本を見逃す図書館員など存在しない。経験を積めば修復が可能かどうかもすぐ判断できるようになってくる。
事前に分からずに提供することは99.999999%くらいの確率でないといえる。だから言いたい。「ごまかさないで」と。
とはいえ、そんな図書館員の能力とは全く関係なく、嘘でごまかそうとする人は後を絶たない。罪悪感を感じているならまだ良いほうで、図書館に来る途中ににわか雨に降られ、返却しようと持っていた本を頭の上で雨除けにしながら来館し、「いやー、急に降ってきてまいっちゃったよ」と笑顔で言われることもある。こっちのセリフだ、と言い返したくなる。
にわか雨は大敵だ。大雨よりタチが悪いかもしれない。大雨の時は大半の人がしっかりと対策をして本をビニールに包んで運ぶなどしてくれるのだが、にわか雨の時はその準備ができていないことが多い。図書館に来る途中で本を雨に濡らしてしまい、それを指摘すると
「急に降ってきたんだから不可抗力だ!」
とキレられて揉めたことがある。
いや豊臣秀吉を見習えと。
服の中にでも入れて濡れない状態で持って来ればいいじゃないかと。
心の中でそのように思いながら対応する。
正直、借り物に対する管理意識が足りないと思う。もしその本が友達から借りたものだったらそんなふうに言い返しますか?
しっかりしたスタッフならそんなニュアンスのやり取りもその場で丁寧にできるが、気の弱い子はなかなか言い返せない。強い言葉でゴリ押そうとするひとは意外に多い。図書館が接客業だと強く実感する瞬間である。
雨の降る季節には、借りた本はあらかじめビニールの袋に入れて持ち運んでくれると助かるのです。(常に心がけてくれている方も多いです)
消せるもの、消せないもの
他に状態がひどい例では「書き込み」がある。
書き込みは発見が難しい場合がある。資料が返却された際には中身を確認しているのだが、書かれた場所や量によっては見逃してしまうことがある。水濡れのようには発見できない。
「書き込み」が実際どんなものかというと、借りた人が本の中に鉛筆やペンで線を引いたりメモを残したりしてしまうことがある。なかには自分の感想を残していたり、本の冒頭に「この本には読む価値がない」みたいなことを書かれたこともある。これは他の利用者に指摘され、「不愉快だから消しておいてほしい」とクレームを受けた。もっともである。これは真摯に謝罪した。また別の例では本全体にわたって蛍光ペンでラインを引かれたこともある。
書かれたのが鉛筆ならまだいい。消しゴムで消せる。カウンターで空き時間に本に消しゴムをかけている姿を目にしたことがないだろうか。多くの方が利用する時間帯にはそんな暇はないので意外と目に触れない作業かもしれない。消しゴムかけはスキマ時間にやる作業だ。消せるものは全て消していく。
ボールペンも消せる道具がある。だがこれは扱いが難しい。時間のコストとバランスを取ることになり、量が多いものは諦める。蛍光ペンは消せない。
他にも破れがひどい状態とか犬に噛まれた状態とか洗剤の匂いがきついとか、利用時の状況がうまく想像できない状態のものがときどき発生する。それだけ本自体が身近なものとして扱われているのだろう。親しんでくれるのはありがたいのだが、借り物であるという意識はもう少し持っていただきたい。古い本でもね。図書館には古くなって状態が良くないものもあるのだが、そういうものは入手が難しいものになっていたりするので気をつけて欲しい。
弁償の判断
さて本がダメだと判断した場合、利用者に弁償を求めることになる。修復の判断と弁償の判断はには微妙な違いがある。つながっているが同じではない。修復が成功すれば弁償を避けられることもあるからだ。だがひと目でダメだとわかるものはその場で弁償の判断をする。
ほとんどの方は受け入れてくれるのだが、水濡れの話だけでもわかるようにここに至るまでの話が長くなることもままある。なので弁償の判断はリーダー格以上に任せることが多い。
図書館では基本的に利用者との間で金銭のやり取りを行わないので、同じものを別途購入して用意してもらうことになる。最近はアマゾンなどで簡単に発注できるようになり便利ではあるが、中古品には要注意だ。
ネットに出ている中古品には状態が良いとか普通とか、書かれてはいるもののいざそれで持ち込まれたものにボールペンの書き込みがあったり、実物が落丁本だったり乱丁本だったりすることがある。落丁本とは一部のページがすっぽり抜けた状態の本で、乱丁本とはページの順番が違う状態で製本されたりするものになる。書き込みもなく、状態が良くてもページが抜けていては資料の要をなさない。残念だがこうなると受け入れられない。
便利さとは裏腹にこんなトラブルもあるので、最近では弁償の案内時に「状態によっては受け入れられない場合がある」という案内も含めるようになった。落乱丁本は流石に一度しか見たことがないが、書き込みがあるものはよく見かける。これもまた受け入れ時に揉めたりする。
お金がかかった話になるのでこれは当然の反応かとは思う。
弁償に対する利用者の反応は2つに分かれる。
受け入れる人と、受け入れようとしない人だ。
割合で言うと8対2か9対1くらいになるだろうか。
受け入れる人にも「すみません」と言ってくれる人や詳細な説明を求めるひと、ちょっと不服そうな人など反応は様々だ。
だが受け入れないとハナから決めてるひとは断固として自己の正当性を主張する。こちらの不手際(?)を主張する。「もとからこうだった」と言われる場合、こちらは不利である。なぜならそれを客観的に証明するとなれば、貸出前の状態を写真に収めておく、ぐらいの証拠が必要になるからだ。そんな話になること自体悲しいことだが、最終的には引き下がることが多い。泣き寝入りだ。多くの図書館員はこういうやりとりで泣きを見ている。年々こういった理不尽とも思える対応は増えている、とベテランの職員は嘆いていた。
静かな1日
と、まあトラブルのイメージが浮かぶ雨の季節ではあるが、これは繁忙館ならではのエピソードとも言える。雨の日は来館者が少ない。全体の物量が落ちる代わりにトラブルの打率があがる。カウンターを離れれば非常に静かな状態で、もともと静かな場所だけにいっそう音がなくシーンとしている。
夜になれば雨音がBGMとなり、癒しの空気感が増す。
トラブルさえ起きなければのんびりして落ち着いた1日を過ごせる場所だ。
トラブルさえなければ……
トラブルさえなければ……
そう願いながら窓の外を見ていた日を思いだす。
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