僕は図書館で働いていた。
仕事自体はとても楽しかった。
いろいろあって辞めた。
辞めてしまった今だからこそ、本音を交えた話ができたらと思う。
新しい本を買う
図書館では週に一度、新しい資料を購入している。
購入する資料の種類は様々で大きく分けると
・図書資料
・雑誌等定期刊行物
・視聴覚資料
の3つになる。特定の分野に比重を置いた専門図書館などではこの限りではないかも知れない。
図書館ではそれぞれ収集方針を定めていて、「この分野ではこういう基準で本を集めていきますよ」という基準になるものだ。これに沿って資料を選び、予算内で購入していく。これを業務上は「選書」と呼ぶ。
まれに政治的な分野などで「偏った選書をしているのではないか」という批判を受けたりもするが、これは完全に誤解がある。図書館では「両論併記」が資料収集の大原則で、人によって意見や考え方に差が出てしまう分野ではどちらも同じ比率となるように資料を集めることになっている。なので端的にいうと、右を買うなら左も買う。鳩を買うなら鷹も買う。みたいな話になる。
もしどちらかに偏ったら必ず反対側から苦情がくるのもわかっているので、ネガティブな意味でも偏った選書はしたくない。
「棚を見たら賛成派の本しか置いてないじゃないか!」
と、とある分野についてご指摘を受けたことがあったが、調べてみると貸出中でそこにないだけで、蔵書数としてはバランスがとれていた。検索したらわかる話でもあるけれど、これを説明するのも仕事のうちだ。どうか感情的にならずに優しく聞いてほしい。
まあ、ほんとに落ち度があった場合、優しい人ほど怖いのだけれど……
選書はみんなで
図書を買う理由は二つある。
・新刊本を購入するため
・足りない本を補充するため
新刊本は特に説明がいらない。新しく出版された本だ。「貸本屋論争」みたいな課題もあるが、これは長くなるのでここでは割愛。
しかしながら収集方針にそった選書をしなければならない。先に書いた両論併記のような原則もいくつかある。選書は図書館業務の中でも専門性のたかいところで、しかもそれを限られた時間の中でどんどん進めていかなければならない。
新刊本の情報は毎週更新される。図書館流通センターが発行している「新刊全点案内」というものがあって、ここにはその週に刊行される図書や視聴覚資料の情報がほぼ網羅されている。ここで拾うことができない資料の情報といえば地方の自費出版物くらいではないだろうか。毎週毎週かなりの資料が発行されており、まとめるのも大変そう。
この「全点案内」では図書館で利用されることが前提なので掲載されている時点でNDC(日本十進分類法の略)の分類がすでに分けられているし、納入時には本の内容や関連情報をしめす「書誌情報」もデータでまとめられいてる。かつては各図書館で司書が行っていたであろうバックヤード業務の一部を集約的に担っていると言えるので便利だ。
自治体の選書会議では館ごとの選書と全体的な蔵書バランスも含めて議題にかけられるので、それまでには選書を終わらせてなければならない。全点案内が届いた2日後には選書会議、というスケジュールの自治体もあるので、そういうところでは即断即決が求められる。ひとりの担当者だけでやっているところもあるが、僕個人の考えではなるべく多くのスタッフが選書に関われる体制が望ましい。なぜなら選書は図書館業務の中で最も専門的な業務の一つだし、やっていて楽しいし、単純にレベルアップにつながるからだ。
図書館員にとって「本をどれだけ知っているか」というのは司書としての力をしめす大きな指標になるものだ。全点案内のような網羅的な情報を常に見ていると、本そのものに限らず著者の名前や出版社の名前をはじめ、どの分野にはどの出版社が強いのか、どんな作家がどの分野で人気があるのか、というような情報がわかってくる。出版社と著者とタイトルを見て、なんとなく内容が想像できるようにもなってくる。そうすると書架の見方が変わってくる。蔵書バランスの質が見えてくるようになる。
選書にはそういう醍醐味がある。組織を管理する人にはそういった教育面を考慮して業務を組み立ててもらいたい。
揃えることと捨てること
足りない本、というのは実際は一言では済まないのだが、例えば汚破損などでもともとあった資料が使えなくなり、買い替えが必要な時。
また所在が分からなくなって不明処理されたりして欠本が生じたときには揃えなければならない。全10巻のシリーズのうち5巻だけない、などの例がこれにあたる。
このパターンは実は発見しにくくて、図書館の本は貸出で棚にないことが多いので、棚を見ているだけではなくなっているのか貸出中なのかわからない。たまたまそのシリーズを読み始めた利用者から指摘されてようやく気づくことができる。あるいは一定の期間を定めて欠本を集中的に捜索する時間を作るか、となるのだが、これも一苦労。棚とデータを一致させる作業になり、このリスト化が難しい。ひとことにシリーズ物と言っても、実際のタイトルには「〜全集」「〜シリーズ」「〜叢書」「〜ブックス」「〜ライブラリー」などいろいろある。独特なタイトルをつけているものなど含めると正直なところ拾いきれない。
タイトルを精査した上でデータ上の欠本と棚の実物と貸出状況を見据えて探すことになるので時間はかかる。この問題が起きるのは主に歴史の長い図書館だ。まったく新しく作られる図書館では新しく買うことになるので生じないが、古い図書館からの蔵書を引き継いでいる場合は精査が必要だ。
こういった資料管理は逆に本を廃棄する業務とも関連するため、大きな動きとなり計画的な行動が必要になる。逆説的ではあるけれど、これも選書活動のひとつと言える。選ばないこともまた選書なのだ。
視聴覚資料は衰退気味
視聴覚資料についてはCD、DVDがほとんどで歴史の長い図書館にはカセットテープやレコード、8ミリフィルムが今だに残っていたりする。国立国会図書館にはマイクロフィルムの複写も可能だが、さすがに保存の問題が発生しデータ化が進んでいる。実際に購入できるのは最初に示したCD、DVDが対象となるが、全体的に見たら縮小傾向ではないだろうか。著作権に関わる問題や予算の削減などで視聴覚資料は扱いにくいものになってきた。館内で上映会などを催しているところは著作権処理された高額の資料を購入していることになる。一昔前は積極的に購入されていたが、すでに新しいものは購入しない、と決めている自治体も増えている。
年々予算は減っていくのでこの流れは変わらないだろう。
司書のあり方
今はYouTubeなどで無料で音楽をいつでもどこでも聴ける時代でもあり、図書館に視聴覚資料を求める傾向も失われていっているのではないかと思う。あと10年もすれば図書館の視聴覚資料は無くなるのではないかと想像している。
だれでも検索が可能だ、という時点でもう司書の専門的な仕事もかなりの部分が奪われたといっていい。多くの利用者は図書館に来る前にすでに資料を特定していて、あとは場所を確かめるくらいだ。図書館システムも進化しており、館内の検索機で探した資料がどこの棚に入っているか、というところまで図面で案内するようなものもある。この状況と引き換えのように人員の削減が進み、作業的な業務に追われるばかりになっている館も多い。
図書館のありかたが「従来の本を読む場所」から「人が集まる場所」へと変化しようとしている傾向もあるので、司書のあり方も変わっていかないといけないのかもしれない。
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